2007-08-29
問題提起? NO 1958
銭湯で常連さんからお墓についての質問が。戦死された弟さんが第一号で埋葬されたお墓、そこにご両親の遺骨も収められているそうだが、遠方ということから真剣に移転をお考えとのこと。
もうもうとする湯気の中で30分ほどお相手したが、ついに「のぼせ」の限界が。そこで「いつでもご来社を」と申し上げて脱衣場へ脱出した。
数日前にも書いたが、改葬というのは簡単ではない。家の引越しよりも大変な問題、基本的なお話しだけでも1時間は必要なので改めてと申し上げておいた。
夕方、葬祭業界を採り上げた情報番組があると聞いており、知人の店に飛び込んでお客さん達の反応を眺めながら観ていた。
まず登場は東京の葬儀社。感動が売り物だそうだが紹介された光景は和太鼓葬やツーリング葬など奇天烈なもの。大阪の吉本の喜劇以下の低次元、お客さん達の嘲笑の声も強烈だった。
次に登場は名古屋の業者。次々に会館をオープンさせている会社だが、前者と共通するのがビジネス第一主義。そこに「儀式」や「悲しみ」のハートを感じない寂しさを覚えた。
次は我が大阪の大規模葬儀社。専務が登場されていたが、上記の会社に対して嘲笑する表情を感じたのは私だけだろうか。
コメンテーターが我が業界を成長産業と断言していたが、私は間違いなく「斜陽産業」と反論する。なぜなら非日常的なことで無知で成り立ってきた業界に急変ニーズが顕著だから。
少子高齢社会の到来にあって宗教観の稀薄が生じ、無駄省きの中に義理的参列者の割愛という発想が強くなり、家族葬など会葬者激減という現実もある。また、お互い様感情の稀薄から「葬儀は迷惑の上に成り立つ」という発想までも求められてきている。
そんな中、前述のような広告戦略を売り物にする業者が出現するのだから業者選択が始まるのは確かなこと。そこで忘れてならないのは「悲嘆」に対するプロと して配慮。弊社が加盟する協会のメンバー達には、悲しみに対するカウンセラーとしての研鑽を重視している者も少なくない。
そうそう、友人の店にいた人達との会話だが、全員が地元の人で弊社の葬儀を体験されており、番組で紹介された業者に対する厳しい意見が飛び交っていた。
しかし、賛同することもあった。それは価格のオープン化で、弊社も随分昔から取り組んでいるので共通するところである。
今日の結びに葬儀をビジネスと考える若い経営感覚に敢えて苦言を呈したい。葬儀の本義を学んで欲しいもの。悲しみを理解しようとする努力を惜しまず、終焉 の儀式を厳粛に考えれば自身が若いという謙虚な姿勢に気付くべき。東京の社長は30代だったと記憶しているが、あなたに爺ちゃん、婆ちゃんと孫の絆を理解 するのは不可能だし、人生を語れる年齢ではないだろう。そこに「命の伝達」が存在していることを知って欲しい。
ここに書いたことを誰かから聞かされ、立腹されることもあるだろう。もしも本義を学びたかったら来社は歓迎申し上げる。それであなたの葬儀に対する考え方は180度変化するだろう。