2007-08-25

コミュニケーション?  NO 1955


 夜、地域の会合の宴席に出席、「飲み放題」という触れ込みだが、<こんな会費で!?>というような感じ。交渉窓口となった幹事の強烈なパワーに驚きと感謝という内容だった。

 続いては2次会、今度は女性が幹事。これも信じられない会費で交渉成立、会場となった場所が同じ地域なので恐縮することに。

 多くの方々の熱唱を拝聴した。久し振りのカラオケの世界、半分ぐらいが新曲だそうで知らないもの、字余りの歌詞を見事に歌い上げるレベルにびっくり、1曲毎に採点されるチグハグな点数に不思議な思い。芸達者な人達が多いのにも驚いた。

 最高齢の長老が選曲されたのは近江敏郎さんの「湯の町エレジー」で、この曲を知っていたのは私の他に3人ほどだけだった。

 昭和の名曲と称される美空ひばりさんの「川の流れのように」を女性会長さんが歌われている。横に座っておられた長老のお一人が「美空ひばりは、素晴らしい曲を遺した」と独り言、感慨深げに聴き入っていた。

 明日も明後日も予定がいっぱい。何か予定外のことが飛び込んだら大変なことになる。ずっと携帯電話を手にしながら気掛かりだった。

 ウーロン茶でのお付き合いとなったが、最も驚いたのは知らないお客さん同士が踊り出す光景。そこにカラオケ文化が定着していることを改めて実感した。

「カ ラオケ葬」というのが登場する創作落語があるが、カラオケの交流があった人達が参列し、故人の好きだった歌を「献唱」することも悪くないこと。それぞれが その時からその曲を耳にしたら故人のことを思い出す筈、そこに「思い出を形見に」という言葉が生まれ、その先に供養につながる世界があるような気がする。

  数々の名曲を遺された偉大な「阿久 悠」さんを思い出すが、この世を去ってから遺作が歌い続けられる作曲家や作詞家とは、この世に生まれて幸せな人生を終 えられたということになるだろう。そんなことが出来ない我々一般庶民にもIT社会の到来で「ブログ」という「生きた証し」を遺せるようになった。

  サラリーマンの中で自社に対する鬱憤をブログでぶつけているページも少なくないが、それで大きく人生を変えてしまった人もいっぱいいるよう。「あの人が、 あんな言葉で書くなんて」と信じられない文章に遭遇することもあり、匿名という仮面で秘められた人格を曝け出すことに悲喜劇が生じていることも多い。

 何度も書いた「書くことは恥を欠くこと」の定義だけは忘れず、生きた証しを綴る自由のあることには感謝をしたいもの。北朝鮮に生まれていたら、絶対にブログなんて発信不可能なことは確かだろう。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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