2007-01-16
防災対策は? NO 1749
昔の新聞記事を調べていた。そんな中で目に留まったのが平成7年(1995年)1月17日付けの夕刊、その日の明け方に発生した大地震の記事が一面に掲載されていた。
「死者439人 不明580人」「近畿で大地震 M7、2」「震源は淡路島 神戸 震度6」という見出しがあり、カラー写真で阪神電車が横転していた住吉駅付近の航空写真があった。
この時点で右肩の「毎日新聞」の下部に「兵庫県南部地震と命名」とあり、特別紙面・輸送態勢などという文字表現に、新聞取材の行動でも大変な苦労が感じられるものだった。
最終的に6000名以上の犠牲者が出たが、誰もがこの時点でそんな未曾有の被害に及んでいるとも想像できず、ヘリコプターから撮影された映像がテレビの画面に飛び込んでくるのを観ながら身体が震えていたことも憶えている。
電話が通じない状態にも気付いたが、近くのおばさんが来社され、芦屋の親戚が犠牲となって「柩が欲しいと言ってきました。何とかしてください」と言われた。
その日、私が担当することになっていた葬儀は2件あったが、普通でない揺れを感じてすぐに出勤して来てくれたスタッフ達が式場に確認に行ってくれ、何とか葬儀は行われそうだという報告が入った。
その時から約半月に亘って大変な影響を受けたことは過去に書いたので割愛するが、神戸のメンバーである公詢社のスタッフの皆さんの活躍は、その後の語り草 になり、社長が「悲しみの語り部」として聞かせてくれた体験談は涙なくして聞ける内容ではなく、多くの人達の心の扉を開け、命の大切さと悲しみのドラマの 現実を学ぶことになった。
依頼があって、あちこちのご遺体安置所に向かった寝台自動車達だが、芦屋や西宮でも片道5時間以上も要するような状況。道路の段差もあり、長い板を積み込んでいく必要もあった。
一昨日の千島海溝付近の大地震で、津波情報で避難された人が少なかったことが気に掛かる。気が付いた瞬間に後悔するのが津波の恐ろしさ。その号で書いたように臆病第一で行動されることを願ってしまう。
大地震の襲来では、我が欠陥住宅の倒壊も怖いが、我々夫婦の腰痛状況も問題だし、2匹の猫の存在も心配だ。
地震に関連して発生する火災も大変だ。我が生野区の町のように住宅密集地は考えるだけで恐ろしい。広域避難場所だって近くの学校ぐらいしかない。防災について、それぞれの家で考えなければならない時期の到来である。