2007-01-10

過去・現在・未来?  NO 1743


 大法輪の今月号に懐かしい思い出のある言葉が掲載されていた。

そ れは、あるお寺さんがお通夜の説教で仰られてからずっと心に刻んできた言葉、『言葉のいらぬ世界が仏の世界、言葉の必要なのが人間界、言葉の通用しないの が地獄』という「曽我量深」師の格言で、そのご住職は十数年前にお浄土へと往詣されており、弔問者の皆さんが「なるほど!」と頷いておられた光景が昨日の ように思い出されてきた。

 さしずめ、加害者に対して「殺さないで!」や「助けて!」と叫ぶ被害者にとっては地獄の思いだろうし、テロや戦争も間違いなく人間社会ではなく地獄界となるだろう。

 この格言からすると「暗黙の了解」は仏の世界となるだろうが、言葉を必要としない「暗黙」は、今の人間社会にあっては地獄行きの連中に用いられる言葉、それなら「暗」より「闇」の文字の方がピッタリくる感じがする。

 数日前の爆弾低気圧で「雪山で遭難か?」というような出来事が数件報じられていたが、過去にそんな体験をした知人がおり、奇跡的に救出される前に彼が見たという夢の話が印象に残っている。

「氷点下の世界、雪穴の中で『凍える!』と覚悟した時、温かい湯の中に入っていくような不思議な感じがして、それが母親の胎内に居るように思えてならず、そこで『死んだらいかん!』と気を取り直すと同時ぐらいに救出されたよ」

  彼は、あの世とやらの入り口ぐらいにまで到達していたのかもしれないが、救助隊の皆さんの話からも、そこからこの世に戻って来たのは奇跡としか言いようが ない出来事。しかし、帰ってきた人間社会で数年後に交通事故の被害者になった彼、それから「この世は地獄だ」と言うようになってしまった。

「生」あるからこそ「四苦八苦」を理解できるのだろうが、「生きている」と考えるよりも「生かされている」と考える方が「苦」の度合いが随分と軽減されるもの。そこに「謙虚」という言葉が似合うのである。

 我が大阪では今宮恵比寿が賑わう時期、賽銭を大きな樽に投げ入れ「商売繁盛」を祈願するのが常だが、持ち帰ってくる笹、また神社仏閣のお札や破魔矢など、それらを一切否定する宗教も存在する。

「え べっさん」に我々葬儀社は行き難い。知人と遇ったら大変だ。それらはお医者さんも同じかもしれないが、長年の伝統とは凄いもの。東京へ出張の際、偶々「お 酉さん」の本番の日に重なり知人について出掛けたが、それも想像を絶する混雑振りで、何より舞い上がる埃に参って「お参り」までに至らなかった思い出もあ る。

「宵恵比寿」の日、あちこちで悲しみのお通夜が行われている。私も弔問者の多いお通夜に行ってきた。顔馴染みの人達が葬儀委員を担当されており、受付業務が終わってからの「通夜ぶるまい」のお世話をちょっとだけ手伝ってきた。

 お陰で階段の昇り降りが腰痛に響き、堪らず銭湯の電気風呂に行き、ちょっと逆上せ気味の状況でマッサージ・チェアで癒しのひととき。3種ある中で女将さん推薦の機種に座ったら、ご親切に足をマッサージする機材をセッティングくださった。

 座っていて立つと、しばらくの間が辛い状況。姿勢がよいと自負していたことが怪しくなりつつある最近だが、何とか腰痛から治癒して欲しいと願いながら過ごしている。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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