2006-12-13

若かりし時代に?  NO 1716


 さりげなく腕時計を見る。間もなく定刻。開式時間を確認するために見るのは許されるが、葬儀が始まってから時計に目をやることはご法度、それはサービス業に共通する基本的な原則であろう。

 今日のご導師は私の歴史上にあっての先生、日本史や世界史を担当されていたが「ササン朝ペルシャ」という授業の時間が何か不思議と印象に残っている。

「この式場はいいな。車のことを心配しなくてよいので落ち着くよ」とのお言葉から始まり、懐かしく昔話に。そして互いの病気と健康について進んだところで開式時間を迎えた。

 式場にいつもと異なるピアノ曲が流れている。<!?>と思ったら担当責任者から「お孫様が」という情報。ピアニストとしてご活躍され、ご自分で演奏されたCDの中からショパンの曲をということだった。

 お婆ちゃんの葬儀の式場にお孫さんが演奏された名曲が流れている。それだけでも不幸な場が不幸でないような雰囲気になる。その曲を献奏曲をいうかたちでBGMに、「命と宗教」バージョンのナレーションから弔電代読に活用させていただいた。

 外は雨が降っていた。自社式場は、こんな天候の場合は特に参列される方々から歓迎される。傘を差すこともなく全天候型で着席されてのご会葬。車の走行音も聞こえない静かな式場が終焉の儀式の場所として価値観が生まれる。葬儀の場は、何より静寂な空間が大切だと考えたい。

 1日の日課を終え、近所を歩いていたら知人と会った。聞いてみると共通する友人達が蕎麦屋さんで待っているとのこと。そこで同行して2時間ほど過ごすことに。

「娘 の葬儀から20数年だ!」と、先に店内に居た知人の感慨深げな言葉。確か中学校に入学してからすぐに不治の病が発見された娘さん。壮絶な闘病生活を経た悲 しい葬儀で忘れられない思い出。親戚の人達と深夜まで夜伽にお付き合いした光景が蘇ってきたが、その時に参列されておられたご親戚の方の感想を教えて貰っ た。

「娘の葬儀で『あれは普通の司会者じゃない』と叔父達が驚いていたが、しばらくしてから君のテレビ出演が多くなった頃、『言うた通りだろう』と親戚中で話題になった」と言われ、懐かしい思いを抱きながらくすぐったくなった。

  店内におられた人達が印象に残った葬儀のことを話し始め、その中に昭和天皇の「大喪の礼」の日の葬儀が話題になった。近所の方の葬儀だったが、12時ご出 棺の式。「国民は正午に黙祷」という社会通達に合わせ、ご出棺の時間をピッタリと合致させて黙祷に進めたシナリオを高く評価していただいて恐縮した。

  あの時は、音響設備の側にラジオを準備。12時の時報をマイクに流したシナリオにインパクトを感じられたようだが、葬儀の時間を決定される時点でそのこと を組み上げていたというのが裏話。そんな秘められた逸話が店内におられた人達に喜ばれて大いに盛り上がり、中々開放されなくて困った夜になった。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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