2006-10-17
死後のパスワード? NO 1661
死後のパスワード? NO 1661
学校に提出する原稿の締切日、やっと書き上げたところに友人から電話。35年振りに同窓会をするそうだが「追悼文」の創作を頼まれた。
確認をすると青春時代に自殺をしてしまった仲間の存在があるそう。ただ「黙祷」だけでは。何か供養になることをと幹事会で決まったようで、そこで思い出したのが私の存在。「今月中に」と約束してから予定の行動に出掛けた。
大阪能楽堂から上町筋を走り、大阪国立病院の前を通ってNHKへ。そこから2箇所の目的地を回り暗くなってから戻って来たが、往復で見えたそれぞれの大阪城に風情があった。
さて、京都の老舗バッグメーカーが先代の2通の遺書の存在から問題になり、生粋の京都人からは「揉めいないでよ」との声も出て騒がしいようだ。
こんなケース、果たして葬儀の時は<どうだったのだろうか?>と下衆の勘ぐりを抱いてしまうが、見事に生き抜かれた人生終焉の儀式の後でこんな現実は寂しいものである。
昔、お父さんから結婚に反対をされた娘さんが駆け落ちされ、ずっと永年に亘り勘当で交流がなかったという悲しい出来事があった。
大正生まれの頑固一徹なお父さん、会いたい筈であったろう孫の顔を見ることなく過ごされ、やがて突然に倒れられ救急車で運ばれ、そのままご逝去されるという不幸なご最期を迎えられた。
死因は、心筋梗塞。一人娘さんだったからこそ特別な思いを寄せられていたのだろうが、結婚ということに生じる親子の確執は辛いもののようだ。
さて、その葬儀だが、交流のあったお母さんからの連絡で娘さんファミリーが参列された。男女1人ずつの孫も誕生、2人とも小学校へ通う年齢に成長していた。
そんな孫の様子をお母さんから聞かされていたというお父さんだが、どれほど会いたかっただろうかと孫を持った私には理解が出来るが、ご本人はそれを越える何かがあったようで、集まった親戚の皆さんからの結論は「信じられないほど頑固オヤジだった」ということだった。
お通夜の日の朝、娘さんにお母さんから「これを」と手渡されたものがあった。それは、10年日記で、ちょうど初孫が誕生した日から始まっており、20数ページを残すだけの記述がしたためられていた。
約10年振りに戻った実家、その居間のソファーに腰掛け日記に目を通した娘さん。その内容から意外な事実を知り驚いた。
お父さんは、孫が誕生した頃からお母さんに頼んで娘さんの情報を逐一入手、七五三や入園式を遠くから眺めていたのである。続いて見せられたのは隠し撮りされた自分や子供達の写真が貼られたブック。娘さんは「いつも誰かに見られているような気がしていた」とも仰っていた。
お父さんと娘さんの確執だが、絶家になる家を婿養子というかたちで解決したかったこと。しかし、娘さんの旦那さんも一人っ子という皮肉な現実。ただそれだけでこんなドラマが生まれてしまっていた訳である。
何度か紹介した「出たとこ勝@負ログ」さんのブログ、今日の号で大変興味深い問題がエントリーされていた。パソコンに打ち込まれた日記など様々な本人情 報、それらが死亡後にパスワード設定で家族が開くことが出来ないという問題。ヤフー、グーグル、マイクロソフトなど各社それぞれの理念にも触れられていた が、現実として起こりうる大きな問題、そこに想像出来ない悲喜劇が生まれることもあるかもしれない。
そんなところから、今日の<HOME>接続は「出たとこ勝@負ログ」さんを。