2006-01-07
春に向かって NO 1387
今でこそ葬儀に音楽を流すことが当たり前のようになってきたが、今でも通夜や葬儀に音楽を一切流さないという業者さんも少なくない。
日本の葬儀社の中で、当社は音楽を活用し始めたのが最も早かった歴史があるが、それから音楽に対する研鑽をずっと続けてきた思い出もある。
車の通行がある騒がしい式場と静かな式場では根本的に選曲を変えるべきだし、悲しい場だから「暗い音楽を」なんて勝手な思い込みをしてしまったら最悪の結果になる。これらは陥り易い誤解として、全国津々浦々に愚かな影響を与えてしまっているのも現状だろう。
そ の空間にいらっしゃるひとときを少しでも心地良く過ごしていただくのに、音楽は想像以上の効果があるもの。ご遺族の慰めにつながり、参列者の心の扉を開け させ、1曲の曲が「形見」となってお帰りいただければ最高だが、そんなコンセプトで監修した「慈曲」の存在が注目されている。
10曲の中の1曲に「遺族を励ます」目的で作曲されたものがあり、葬儀を終えてから「印象に残っています」というお声を頂戴することも多い。
晦日と大晦日に弊社のホールで行ったお通夜と葬儀だが、玄関ホールで流す音楽から2階の式場空間で流す音楽まで、それこそ厳選した曲が使用されていた。
ご親戚の方や参列者から「何という曲?」というご質問が多くあり、皆さんが「落ち着く」と仰ってくださったことに喜びを感じていた。
塾生達に様々な音楽の活用方法を教えたが、それぞれに独自の考え方を抱いていたことも興味深く、それらが交じり合って大きなステップアップにつながったと信じている。
同じ光景の映像、そこで曲を変更するだけで「怒り」が「感謝」に変わる体験もさせたが、そんな不思議なパワーがある音楽とは逆に恐ろしい問題を秘めているということにもなるだろう。
何度も来社してきた塾生達だが、音楽に関する発想が広くなっただけでも進歩があった筈。彼らは、その一歩目を踏み出し、見事に開花してくれると確信してい るところであるが、メンバーや塾生達に共通していることは音楽的感性を有していたこと。だからこそ「変なオジサン」と関係が結ばれたとも言えるだろう。
明日から私のスケジュールはいっぱい、本業の他に多くの行動を余儀なくされる。最近、大阪市内の駐車禁止摘発が厳しいよう。そこでタクシー利用が増えてしまうが、今春は運転免許の更新があり、ゴールド免許を死ぬまで続けようと思っている。
お寺の行事、ライオンズクラブ恒例の今宮戎神社拝殿参拝や新年家族会もあるが、重なってしまっていることも多く、どうするべきかの悩みがある。
明後日は大イベントが行われるところから、明日の仕事が終わったらスタッフ達はその準備に大忙し。その頃から私は会社にいないが、大成功するように手を合わせている。