2005-11-28
情けない現実! NO 1346
昨夜に腹立たしいことがあったので「臨時」の号の発信を。
お客様からのお電話、スタッフの指名があって事前相談に参上したら、そこで信じられないお話を伺ってお客様と一緒に憤慨してきたと言う。
長いご入院生活を余儀なくされているお方、病院から「危篤状態に陥りました」と電話があり、ご家族が急いで駆け付けた。
「葬儀社は決まっていますか?」と看護師さんの第一声、続いて「着せ替える着物の用意をしておいてください」と言われたが、存命中のお方がおられる病室前の廊下の会話、その冷たくて突き放すような言葉に憤りを感じられたのも無理ないことだろう。
だが、その態度がもっと悪くなったのは「葬儀社は決まっています」と答えてから。「白衣」の天使は「灰色」を飛び越え一気に「黒色」に変化したようで、患者さんが「物」のような感じで事務的対応で接してきたと言う。
なんと淋しい話だろうか。弊社に看護師として従事していたスタッフがいるが、彼女が悲しそうな表情を見せていた。
「人のために」の志に燃え看護師の道に入る。それは素晴らしくて崇高な人生の仕事である。厳粛な「戴帽式」で誓われた感動の瞬間は、いったい何処へ消え去ってしまったのだろうか?
看護師さんと言えば誰もがナイチン・ゲールを思い出されれるだろう。私も何度か入院の体験があるが、担当してくださった看護師さんは間違いなく「白衣の天 使」に感じていた。それは、病室に白い天井を見ながら自身が置かれている現実を知り、死というものへの恐怖感を和らげてくれた存在だったからだろうが、も うひとつ考えて欲しいことがある。
白衣の天使の前、ナイチン・ゲールは「ランプの天使」と称されていた。戦争で傷ついた多くの兵士が治療を受けている場所、そこで深夜にランプを手に巡回する美しい姿、それを見た不安な病人達が称した言葉である。
情緒不安定で眠れない人もあるだろう。そんな深夜に病室を見回ってくれる足音に病人は安らぎを感じるもの。そんな看護師さんがどうしてこんなに豹変してしまったのか残念なこと。
「先生が精一杯対処し、私達が懸命に看護します。ご家族はご自身のお身体をご自愛ください」と、どうして応えて上げられないのだろうか。大切な人の死を前に「怒り」を与えてどうするの。
ホテルの語源はラテン語のホスピターレだが、それは病院のホスピタルにも深くつながっている。そこで重視されるのはホスピタリティである。
彼女達を悪化させてしまったのは出入りする葬儀社との癒着からかもしれないが、患者がご遺体になった瞬間に「商品」と考える行為は悲しいこと。何より、家族が同時に「遺族」になられたことを理解して欲しいものである。