2005-07-31
もう、8月! NO 1227
スポーツ新聞を含め、喫茶店で8紙を読むのが日課。ニュースの他に囲碁や川柳も楽しみとなっている。
ある新聞の投書欄にタバコのパッケージついて投稿されていた。タバコが喫煙者の健康に害を及ぼしたり周囲の人々にも影響がある表記。それがパッケージのデ ザインを著しく損なっているというご意見だが、数日後、「そんなこと、どうでもいいではないか」という反論の投稿が掲載されていた。
客観的に考えてみれば、この問題での被害者は喫煙者と周囲の人々。そしてパッケージのデザインをされたデザイナーということになるが、多くの投稿が想像できる新聞の投書欄、そこでこの投稿を採り上げた担当者こそに問題があるように感じてしまった。
今や常識となった喫煙の害、その啓蒙や喧伝的効果はあるだろうが、投書欄でこんなやりとりに枠を割く感性を疑ってしまう。
テレビのお笑い番組に顕著なように「質」の低下が著しいテレビの世界と共に、新聞という「使命」の意味をもう一度考えて欲しいと願っている。
さて、午後から玄関にバスが到着、多くのお客様が「御斎」のお食事にご来社されたが、始まる前に「思い出の映像」として5分間のDVDを放映、献杯後からはご本人がご生前に撮影されたビデオ映像が数本流された。
8ミリ映像が潮流の頃から撮影をご趣味とされた故人だが、編集作業も中々のもの。ご自分で選曲された音楽が挿入され、様々なシーンにテロップまで入れられていた。
コンパクトなビデオ撮影機が登場し、誰もがカメラマンのような社会になっているが、案外とご本人が映像に登場されることが少ないのがパターン。カメラ、ビデオをご趣味とされた方々の大半がそのようで、「他人ばかり撮っていました」と嘆かれるご家族のお声を多く聞く。
ガンを告知された男性が生まれてくる子供のために映像を残そうと、妻や友人達の協力で何本も記録撮影するというアメリカ映画があったが、葬儀のプロデュー スを担当しながら感じることは、晩節の映像が極めて少なく、終焉を迎える病室の光景なんて皆無というのが淋しいところ。
他人にオープン化する、しないはご本人やご家族が決められることだが、人生記録としてはエンディング前の映像が重要ではと提案したい。
明日は、地元で講演がある。女性ばかり100人以上のご出席と伺っているが、講演後の質疑応答にリサーチとしての興味を覚える。
一方で、今日、中国地方の大手葬儀社さんから講師として招聘された。急激に変化する葬祭サービスに都会も地方もないと危機感を抱かれたそう。
多 くのスタッフを来阪させるより私が参上する方が楽なことは確か。現地の情報把握も重要なこと。そこで日程を決めて行くことになるが、新幹線から在来線の特 急に乗り換えなければならず、スタッフがネットで情報を調べ「車の方が便利です」という結論。約300キロの行程だった。
久世塾のスケジュール、どうしても8月中は無理になり9月ということで決定。今日、塾生の皆さんに案内を送った。