2005-04-15
振り返って NO 1126
ちょっと所用で出掛けていたら日付が変わってしまった。
東京での二日目、朝食を済ませ、すぐに会議が始まる。未明まで熱く語り過ぎて睡眠不足気味のメンバーもいるが、それぞれが感じた思いが述べられ、それらは如何にもメンバーらしい観点で捉えられていた。
仕事の関係で午前中の便で帰ったメンバーもいたが、また掲示板でのやりとりが増えるだろうし、今回に体感したことが各社で見事な「かたち」として進化するように思っている。
帰阪する新幹線の中、お土産に頂戴したDVDをパソコンで開ける。5時間を過ごした優雅で至福なひとときがフォトショットで伝わってくる。自分の写真を見ながら<年齢が正直に出てしまう>と淋しい思い、それらは集合写真で特に顕著に感じられた。
さて、今回のテーマであった「究極のサービス」だが、ちょっとのヒントで大きく進化することがいくつもあった。メンバー達がすでに実践していることも多く あるし、悲しみの理解に関する研修が何度も行われた歴史もあり、ホスピタリティに対する思いはホテルマン以上のレベルだと信じている。
葬儀に対してこんなに真剣な論議を重ねるなんて誰も信じられないだろうが、それらはメンバー達が持ち寄る資料にも明らかで、<よくぞここまで!>というものがいっぱいある。
講義の中に「業界の常識」即ち「世間の非常識」という問題があった。これは、我が葬祭業界を見事に物語っている言葉だと思っている。非日常的な葬儀、そこに宗教や慣習というものの存在が背景にあり「昔からこうだ」と誰も気付くことなく現在まで流れてきたよう。
メンバー達全員は、少なくともこの疑問を共有しながら学んできた。だからこそヒントの発見につながればすぐに具現化という行動が始まるし、完成までのスピードが超高速。
過去に「夢みたいなこと」として「まだ早いのでは?」とセーブしてきたことが幾つかあったが、それらが予想以上の猛スピードで現実を迎え「先見」という結果になったことも多い。
今日の会議でも「先見」につながる将来展望を熱く語っていたメンバーがいたが、方向性に誤りがなくとも説得力が弱いよう。目的、手法、手段という言葉が理 論武装になってしまってややこしく感じられてしまう。経験の浅い人達が分かり易いように単純明快なシナリオ化も大切。しかし、しばらくすれば社会で認識さ れる時代が訪れるだろう。
思いバッグを持っての移動は大変。日頃の運動不足を補おうと、出来るだけエスカレーターを利用しないように心掛けたら足腰がキンキン。車内でちょっとウトウトして目が覚めたら脹脛が痛い。
明日、九州からかわいい女性が来社されるそう。来阪の目的の中にUSJもあるみたい。私がそこまでお付き合いは出来ないが<誰かエスコートを>とは考えている。
もうすぐ「久世塾」が始まるが、絶対に教えたいのが「心のオシャレ」で、葬儀に従事する立場にあって「焼香」をする際、どんな仕種がプロらしくて心の美が感じられるのか?
そんなテストも面白いだろう。私の講義のコンセプトにあるのは「後ろ姿」であり、お客様に何を感じていただけただろうかということ。そこには男の美学ではなく、葬送の心が秘められており、今回の研修テーマと全く同じ世界が存在しているからお楽しみに。