2005-03-16
??00点から0点へ NO 1097
担当する葬儀に出掛ける前、隠れ家でナレーションを創作していると宅配のダンボール箱が届けられた。
スタッフ達が喜びそうなお菓子と共に、葬儀を記録したDVDが2枚入っていた。
月間に100件程度の葬儀を受注される業者さんだが、「塾で受講の際にでもアドバイスを」という手紙が添えられてある。
原稿を完成させてから少しだけ拝見したが、そこに<何と勿体ないこと>という光景が目に飛び込んできた。そこで10分費やしてメールで送信することに。
受け取られた相手さん、恐らくご立腹されたと拝察する。「スタッフの行動が0点」と指摘申し上げたから。
葬儀という場で礼節に関する点数は「100点」か「0点」しかなく、50点や80点という考えをしないのが私のプロ哲学。基本的な部分に欠如があれば「0点」ということである。
しかし、「私の3分間の指導で100点になるよ」とのアドバイスも書いておいた。
今日から約一ヶ月後に開講される「久世塾」だが、その会社がその日までに担当される葬儀の参列者を延べ人数で計算したらどうなるだろう。通夜と葬儀両方で 200人平均としても2万人になってしまう。その方々に与える印象のことを考えれば何をすべきか必然と答えが出るが、「善は急げ」というのもアドバイス。 果たしてどんな決断をされるか楽しみに?
これまで寒かったが、久し振りに春らしい気候の中で司会を担当した。ご出棺を見送った後、一人の女性から話し掛けられた。
「よかったね。これがお葬式ね。有り難うね。司会がうまいのではなく『心』なのね。よく分かった。有り難うね」
これは、何より嬉しいお言葉だった。その方は、ご近所の世話人さんだったが「命の伝達式」に感動の涙を流されたそう。
そんな良い気分に浸っていたのは束の間、それからすぐに担当スタッフを叱り飛ばさなければならない出来事があって愕然。
多く並んでいたご供花だが、受付担当の役員さんが「この花、少しだけ貰っていいかな?亡くなったお爺ちゃんだけど、横のお地蔵さんにいつもお参りに来られていたのでお供えをしたくてね」
こんな故人につながる貴重な情報を入手出来なかったことは残念至極。今日の葬儀は心残りが生まれ、私自身に「0点」という点数が覆い被さってきてしまった。
ご遺族やご友人から拝聴する故人情報だが、ご近所の方々から入手できる部分に人柄を物語ることが多い。ナレーションを創作する際、耳にされる方々が「そうだったね」「そんな一面もあったの!」という世界が重要なこと。
喋る技術なんて誰にでも出来るもの。他社に不可能な心のサービス、そんな大切なヒントがこの出来事の中に秘められていることを改めて心に刻む。