2005-03-07
母に感謝する日 NO 1087
お気付きになられたでしょうが、昨夜に慌しく発信したコラム、誤って号数を飛ばしてしまっており、お詫びを申し上げながらその号数を今日に記載を。そこで、本日は「量」という考え方から長文で「独り言」ならぬ「2人言」で?
事務所内に入ると小包が置かれていた。スタッフ全員が開封を待ち望んでいる様子。恵贈くださったのは、私やスタッフ全員が崇拝申し上げる北国の女神「水冠」様。開ける前、北に向かって手を合わせた。
鶴の姿を見事に編まれた金の水引で結ばれた箱、中には手作りの6個の瓢箪、1個ずつにかわいい小物が入っている。すべてが水引細工と呼ばれる技術を要されるもの。「六瓢」にかけて「無病」という意味が和紙にしたためられてあった。
別封されて「お盆」もある。「隠れ家」の何処に飾らせていただこうかと考えていると、「玄関ホールのカウンターの上です」という女性スタッフの意見があり、水冠様の「お心」を祀る心情を託してカウンターの上に。
彼女が発信される「空飛ぶ水冠」、そこで書かれるコラム「迷いの窓」をご訪問された方ならご理解いただけるだろうが、水引の他に香道、和装着付け、和歌な ど様々な日本文化に造詣深く、ワインからダンスや朗読まで、映画マイフェア・レディをグレードアップしたような女性。今や稀少となった「日本文化の美」を 誰よりも感じる素晴らしいお方である。
この世に生を享けられたのは何よりお釈迦様にゆかり深い日、その日は私の2人目の孫の誕生予定日。そんな不思議な縁もあるが、そんな彼女との出会いはまさに「ご仏縁」。心から九拝合掌申し上げる。
さて、今月、結婚披露宴に招かれている。夫婦で出席の予定だったが、身内の不幸から私だけということになった。
相手さんにこのことをご理解いただき、会場となるホテルでマッサージまで予約くださっているとのことで恐縮している。
数日前、新郎となる人物から電話があり「こじんまりと考えていたのですが、360人の出席となりました」と聞き、<やはり>と思いながら幸せなことだと慶びを伝えておいた。
そんなところから「出欠返信」の葉書について考えてみたい。
数回の出版記念パーティーやゴルフのシングル記念パーティーの体験で感じたことだが、葉書一枚で人柄や人格を悟られてしまう危険性があることを知っておきたいもの。
一筆添えるべきというのが基本的なマナーだが、「行き」「ご住所」「ご芳名」「お電話」「貴社名」をそのままにされる方も少なくなく、お顔を思い浮かべながらイメージダウンにつながることになってしまうのが日本の文化。
結婚披露宴の出欠葉書の場合、上記の部分を罫線や塗りつぶす書き込みで対応されるケースが多いようだが、ちょっと「心のオシャレ」というテクニックがあるのでご参考に。
消したい文字、その上に赤文字で「寿」と書いて解決するのである。
社会は、いよいよパソコン文字の世界。毛筆や万年筆が遠く薄らいでしまったが、文字の文化は奥深く、お寺様との交流が多い私の立場は大変だ。
「独り言」は駄文の列記。何度も「書いた」恥を「掻く」こと。日本の歴史は「恥」の文化が続いている。常日頃、社員に言い聞かせている「羞恥心を忘れずに」も、何か説得力がダウンしてきたみたい。
会社という組織、そこでシフトとマニュアルに操られて作業する光景が増えてきたよう。仕事は自分で探し見つけて行動するもの。それが「支持待ち型」との大きな違いで、それによって存在感が形成される道理が秘められている。
マニュアル型人間が増える中、上述の「水冠」様のように世の中には凄い人がいっぱいおられる。そんな人との出会いが人生の宝。
疲労モードで帰宅しようと会社の玄関、スタッフに呼び止められてイベント企画のプリントを見たら、中の1枚にお客様の強い要望から企画されたカラオケ大会があった。
「私も歌えるの?」と冗談で言ったつもりなのに、顔をしかめて「止めてください」と言われてしまった。
ふと目に入ったかわいい瓢箪、今日は「華甲」に接近した記念の日。母に感謝をしなければならない日。体調が「下降」しないように留意しようと歩いて帰宅した。